三雲孝江, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=61222 / CC BY SA 3.0
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三雲 孝江(みくも たかえ、1954年4月12日 – )は、日本のフリーアナウンサー、ニュースキャスター。
TBSアナウンサー第17期生。
本名、星 孝江(ほし たかえ)。
旧姓、三雲(みくも)。
東京都渋谷区出生後、神奈川県横浜市で育つ。
血液型O型。
上智大学外国語学部フランス語学科卒業。
父である三雲四郎が産経新聞の特派員(後に取締役論説委員長)だったこともあり、小学2年の夏から小学6年までイギリスで生活した。
そのため英語が得意で、フランス語も話せるという。
捜真女学校を経て、指定校推薦で上智大学外国語学部フランス語学科に進学する。
大学3年の頃に文学座研究生に合格。
その後、TBS(現TBSHD)のアナウンサー試験にも合格。
大学4年時には新聞広告の公募に応募し、日本テレビの特別番組『夢と冒険!アメリカ大横断』(1976年7月4日放送)の出演者7人の一人としてアメリカ合衆国をキャンピングカーで横断、建国200年祭を取材したことがある。
1977年4月、アナウンサー第17期生としてTBSに入社。
同期にはアナウンサーの神津栄子(旧姓:浅井)、吉川美代子、他職ではTBS報道局記者・執行役員の金平茂紀、TBSビジョン代表取締役社長兼TBSホールディングス(TBSHD)執行役員の田代冬彦、推理作家の井沢元彦がいる。
入社後、『3時にあいましょう』『ネットワーク』『JNNニュースコープ』など同局を代表する報道・情報番組を中心に担当。
一方で、音楽番組やバラエティ番組の司会も手広くこなす。
1983年、徳仁親王がオックスフォード大学に留学した折には同行取材し、記者団の中で紅一点だった三雲は、浩宮と会話を交わしながらロンドン市内を一緒に散歩した。
この様子はTBSスタッフによってテープに編集され、東宮御所に献上された。
当時の皇太子であった上皇明仁は家族とともにこのビデオを楽しんだという。
昭和天皇が崩御した1989年1月7日には夕方の『JNN報道特別番組』に出演し、新元号に「平成」が決まったことなどを伝えた。
1989年、TBSビジョンのプロデューサーで6歳年上の星勝幸(日本大学法学部卒業)と結婚。
遡ること12年前に、三雲が『3時にあいましょう』のキャスターをしていた時に、星はディレクターを担当していたため仕事上で関わりがあった。
1990年10月10日にTBSを退社。
TBSを退社後、フリーアナウンサーに転身する。
フリー転身直後に出演したTBSの特別番組『日本人初!宇宙へ』では、秋山豊寛が搭乗するソユーズの真下に相当する世界各地の都市からリポートを届ける「地球特派員」を担当した。
1991年2月にはNHK-BS2特別番組で初めてTBS以外の番組に出演した。
同年夏に長女・星麻琴(現:NHKアナウンサー)を出産。
1992年4月からは、TBS以外での初レギュラー番組となるテレビ朝日『報道多チャンネル』でキャスターを務めた。
前後して1991年4月開始のTBS『ブロードキャスター』の初代メインキャスターに就任、2004年9月までメインキャスターを続けた。
2005年には『イブニング・ファイブ』で、『JNNニュースコープ』以来15年ぶりにTBSの夕方ニュースに登板。
2009年4月に『イブニング・ファイブ』は終了、三雲自身も夕方ニュースから勇退した。
2009年4月からは、『ひるおび!』の火曜コメンテーター(同年3月から7月までは平日コーナーナレーションも兼務)、『情報7days ニュースキャスター』のレギュラーコメンテーター(ゲスト扱いでは同年1月から)を務めている。
三雲の土曜22時台での出演は、メインキャスターを務めた前番組『ブロードキャスター』を降板した2004年9月以来である。
番組総合司会のTBSアナウンサー・安住紳一郎とのレギュラー番組共演は、『ジャスト』終了以来4年ぶりである。
2009年にテレビショッピングチャンネルのショップチャンネルで「三雲アナのフェイスアップクリップ」を開発・プロデュース。
これはショートヘアの女性のために三雲がかねてより試作していた手作りのクリップを商品化したもので、三雲はショップチャンネルの通販番組にもゲスト・プレゼンターとして出演した。
2010年5月から9月までは『金曜プリティ』の司会として、TBS制作…
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